筆を持つこと① - シンプル化 -
どもー
にしけんですー
"筆を持つこと" って、
大事なんだなーと感じるのです。
それを書いてみます。
(今までこういうことを言葉にしてこなかったので、自分の中での整理の意味も込めて記事にしていこうかと。ちゃんと続きますように。)
が、まずは、自分なりの今の社会の考察を。
そもそも今の社会が、どうやって社会として発展して来たのかと考えると、
その裏には、「シンプル化する」ということがあると思う。
筆を例にあげると、
どこまで正確かはわからないんだけど、ジャンル別に分けると、ざっくりこんな感じかな。
①筆 → 万年筆 → ボールペン → PC
②筆 → 鉛筆 → シャーペン → PC
③筆 → 版画 → 凸版印刷 → デジタル印刷 (PC)
①は、インクの進化
②は、墨を炭素の塊としてとらえた進化
③は、文字の書き方の進化 (印刷の進化)
この流れは明らかに、
"取り扱いを楽にしよう!"
という企業努力から来ているんだと思う。
筆を使うには、水と墨(固形)と硯が必要だったのが、
万年筆になり墨を摺る必要がなくなった。
さらにそれが筒に詰められることで、取り扱いが楽になった。
汚れないし、筆箱の中に収まるし、そうなったらみんなの時間がもっと自由に使えていいよね!
って大勢の人が感じたから、売れ続けているんだと思う。
②、③も同様で、
鉛筆は、あえていうなら墨を固形のまま使っているようなもの。(炭素の塊としてとらえたらね)
それを、半紙ではなく、もっと硬い紙にこすりつけることで字が残るし、なんなら消せる!
こんな便利なことはない!
それが、筒に詰められることで、云々。
版画は、表面の凸凹を利用して、凸の部分にインクがつくことで、そこに紙を押し付けたら、凸の形に合わせて跡が残る。
その凸凹の素材が、木から金属になったり、PCから作り出せるようになったり、"版"の作り方が変わって来たってことかな。
そりゃ、木版画を毎回作ってたらしんどいわな!って話で、かなり楽になったなという印象笑。
で、言いたいのは、
「取り扱いを楽にする」
というのは、つまりは
「シンプル化」
するということじゃないかなと。
先ほどのボールペンの例をあげると、筆の仕様から変わったことって、大きく分けて2点。
・筆先
・インクの詰め方
かな。
- 筆先 -
筆では、穂先が長いほど、それに応じて太い線が出せる。
逆に、細い線も出せる。だから、とても扱いが複雑で難しい。
それが万年筆になると、ペン先の割れ方によって線を2本まで出せて、それによって太さを変えられる。太さによる強弱のある線というのが、出せる設計になっているのだ。
それがさらに、ボールペンになると、同時に出せる線は一本のみ。傾けようが、擦り付けようが、多少のかすれはあるものの、いつも同じ太さの線が出てくれる。
誰が扱おうが、いつも同じクオリティーの、同じ制作物を紡ぎ出してくれる。
誰が使っても品質が保たれる。だから売れる。至極当然な話。
物事をとってもシンプルにしていったお陰で、取り扱いが楽になって、売り上げに繋がり、未だに売れ続けているということなんだと思う。
- インク -
インクの話は、あまりしなくてもイメージはしやすいかと。
硯に水を入れ、固形の墨を摺っていたのが、そんな必要もなくなったし、
そもそも硯、墨、水っていう3点がないと作れないものが、いつでもあの細い筒に入っている。とってもシンプル。
そんなに楽になれば、誰が考えても売れる。
墨を濃く摺ろうと思ったら、3時間くらいかかるからね 。現代社会ではそんな時間なんてなかなかとれない。
そうやって、楽にすることを考え続けて来た先代の方々の努力があって、今の日本のさまざまな製品やサービスってあるんだと思う。
素晴らしいなー
電車がきっちりと時間に来ることや、
コンビニに行けば年中24時間同じジュースが買えること、
災害があっても、あれもう直ったの?って速さで復旧すること、
日常のいろんなことを「楽にしたい」 と思うことから始まり、それが「シンプル化」に成功した暁に、今の生活があるんじゃないかな。
先代のみなさま、本当にありがとう。
と、恩恵にはとても感謝しているんだけど、実は、言いたいのは、これが回り回って、いろんな問題を起こしてるのかな?と思ってる。
そして、筆を持つことが、その解決の一つに繋がらないかな?って思ってる。
それをここで書いていきたいのね。
ひとまず、こんな感じで。
- つづく (と思う笑) -