筆を持つこと②
長らくあきましたが、
以前書いた、筆を持つことの続き。かな。
綺麗にすることって、
美しさを無くしていくこと
じゃないかと思う。
僕の中で、
"綺麗"とは、整理整頓されていること
"美"とは、自然のままであること
だと勝手に思っている。
うーむ、こう定義した時点で、そりゃ整理整頓されたら、自然のままではないからもう話は終わってしまうんだが、
何というか、意外にそうは思っていない場所でそれが起こっている気がする。
例えば、書道の授業。
今、学校で書道の授業があって、字を習ったとすると、ほぼ100パーセント
●過去の字の臨書
もしくは
●それを練習し尽くした先生の字の臨書
だと思う。
臨書とは、手本をみながらそれに似せて書を書くこと。
それを基本とすることで、みんな "綺麗な字" を目指す。
綺麗になっていったら、級や段がもらえる。
認められるのだ。
これはつまり、"綺麗に字を書くこと"が、"社会に認められる一歩" になるのだ。
だから、みんな綺麗に文字を書こうとする。
もちろんそれが悪いわけではないし、字が綺麗なことに越したことはない!
ただ、忘れちゃいけないのが、
文字ってそもそも何のためにあるのか?
というところ。
みんな知っているはず。
文字がそもそもは絵だったことを。
象形文字っていうよね?
そのモノの見た目を、文字にしたの。
これは、
山、川、月
の古代文字。
漢字のはじめのはじめはこれなんです。
僕思うんですけど、これって、
絵だよね??笑
じゃあ昔昔の人は、何のためにこれを書いたのか?
というか、描いたのか?
もちろん、
人に伝えるため
ですよね?
もしかしたら1人で楽しんだのかもしれないけど、今残っているってことは人に伝わったわけだし、人に伝える機能を持っていたってこと。
僕はここが大事だと思うのです!
文字は、人に伝えるためにある!
逆に言えば、
伝えるって目的さえ果たせれば、
綺麗じゃなかろうが、
汚かろうが、
書き順間違っていようが、
関係ない と思ってる。
こんなこと言うと怒られるかもしれないけど...
さらに逆に言うと、
綺麗であることで、
伝わらなくなることがある
とも思っている。
以前、イベントとしてやっていた「名よ!体を現せ!」
"その人の名前が、よりその人らしくなったらいいな"
という思いのもと、100人へ文字を描かせて頂きました。
例えば、
ね!!!!
絶対、書の方が、フォントの
「明子」
より、伝わるでしょ!!!!
でも、このフォントと言われる文字は、古典の書を参考にしながら作られ、現代人の誰が見ても、 綺麗な字 なんです。
うちの嫁が、多宝塔碑 (顔真卿の書) 見て、
フォントじゃん!!!!
って、罵声を浴びせかけてました。
あ、はい....
あの.... フォントの原型です....
"綺麗" な字になればなるほど、
そのままであると言う、"美しさ" がなくなる
と僕は思うんです。
だから、僕は色文字ワークショップでみんなが、
謂わゆる”書道”を忘れて、
字を描いてくれてることが、本当に嬉しい。
それが本来あるべき、書の姿だと僕は信じてるから。
色がついたって、書き順間違ったって、線が一本多くたって、
いいんです!
伝われば!
見て!
なんて素敵な "ありがとう"
今、世の中で正しい言われている価値観に惑わされてはいけない。
素敵!って思ったことに間違いはないんだよ!